連絡が入る
早朝、妻より痛みを伴う声で連絡が入る
10分おきに痛みが来るので
病院に向かうとのこと
いつもの声と違い
痛みをこらえるような声を聞いて少し動揺したが
すぐに気を取り直し
今日の段取りを頭の中で考える
大阪に向かう荷物の準備はしてあったので
それを再確認し
車で会社に向かう
勤める会社では 妻の出産に伴い特別休暇が
2日間収得できる
今日は木曜日ということで
明日金曜日と週末を併せ合計4日間連続してお休みすることになる
会社から上司に連絡 自分のアポイントを後輩に代替してもらうように
伝言メモを置き、事務の子に指示をいくつか残す
車で家に戻り
自転車で 駅に向かい新幹線に文字通りとび乗った
新大阪に到着し、地下鉄を乗り継ぎ
妻のいる産婦人科に午前11時過ぎにようやく到着
妻の姿を病室で確認しホッとするのも
つかの間
妻はベッドの上で苦しんでいた
妻の母親も付き添っていて
傍らでさすっているのを交代して
付き添う
一定の間隔で痛みが押し寄せ そのたびに
苦悶の表情を浮かべる
見ていてつらい
時計の針がゆっくりと時を刻んでいて
ただただ妻の背中、腰をさする
時間が過ぎていくごとに痛みの間隔が短くなっていく
食欲もないみたいだけど
これから陣痛室に入って陣痛に耐える体力を考えると
少しでも口になにかを入れる必要があるので
頑張って食べてもらう
時間が過ぎていくのをただただ待つ
夕方も5時をまわり
夕食が病室に運ばれてくる
最近ではこのような豪華な食事がでる産婦人科が多いとのこと
食欲がない妻に代わって
妻が痛がっている中で ごめんね と言い 頂いた
しかしこのような料理を出産を控えた人が食べられるのだろうか?
料理は出産前の人も、出産後の人も 入院している人全て
同じメニューとのこと
夕食後 午後9時を過ぎて妻のお母さんが家に帰る
立ち会えるのは親族1人だったので夫である自分が見守る
自分は立会い出産を希望していたので
妻の傍に付き添い
妻を励まし
一緒に親になる瞬間を
共有したかった
妻を1人にしたくなかった
11時をまわりようやく陣痛室に向かう
3階の入院室から
2階の陣痛室に行くまでの間
妻はとても苦しく痛みに悶えていた
陣痛室に入りベッドの上で
子宮口が開くのを
絶え間なく押し寄せる痛みにこらえて待つのだ
その間 腰をさすり もうすぐ赤ちゃんに会えるんだよ と
励ましながら早く時間よ過ぎてくれと とただ願うのみである
神様に どうか無事に生まれてきますように とも願う
最後はどうしても神頼みに自然となってしまう
初めて知ったのだが 子宮口が 10センチ 開いて始めて
いわゆる出産に臨むことできるのだという
10センチ未満でいきむと赤ちゃんが産道から出てこれないのである
個人差がかなりあるので
その子宮口が短時間で開く人がいる一方
なかなか開かない人も勿論いるのである
妻は後者の方だったので
長期間陣痛に耐える時間が長かったのである
こうして深夜0時をまわり
10月2日の出産はなくなり 新しい
10月3日 という新しい記念の日が始まった